自然という「日常」に戻り人間の本来の姿を取り戻す
「今度、鶴を見にいらっしゃいませんか?」
質問の意図を測りかねていると、一年を通し、国の特別天然記念物である丹頂鶴が目の前で見られる場所があるのだという。それが、北海道弟子屈町。道東の中心に位置し、面積の3分の2が阿寒摩周国立公園に含まれる自然豊かなまちである。
その環境を保全しようと2023年、NPO法人「サロルンカムイ」(丹頂鶴を示すアイヌ語)が立ち上がった。その発起人が冒頭の提案者、川邊りえこ である。縁もゆかりもないこの場所に約1万坪の土地を購入し、月に10日ほどはそこに住み込んでアイヌ文化の精神性を学ぶ活動を続けている。
「弟子屈では、庭に鶴が舞い降りるだけでなく、星が180度で見えます」。川邊いわく、窓の外を眺めながら入る温泉から、いつも真横に星が見えるのだそうだ。文字通り、銀河の大パノラマである。そもそも弟子屈という名称はアイヌ語の「テシカ・ガ(岩盤の上)」から来ている。人の手のほとんど入っていない自然本来の姿が残るこの地は、アイヌ民族が大事にしていた“自然界すべての存在に「カムイ」(神々や霊的存在)が宿っている”という考えや、“自然を尊重し共生することを大切にする”という精神性に直接アクセスできるような環境だ。
哲学者の梅原猛も著書で「北海道の蝦夷文化は日本の骨層の縄文文化とつながり、隠された原日本の魂だ」と記している。その土地に通い続けること数年、川邊は自身の変化に気づいたという。
「自然は二度と同じことが起こらない。その完璧な美しさとともに共生共栄していくことこそが人間の本来の姿だ。それを悟ったときは、最も自身が拡張した瞬間でした」
これまで、日本の財界人たちを対象に、日常を豊かに暮らす術として日本人の美意識を習得する講座を主宰してきた川邊は「頭ではなく、五感や心で感じることの大切さ」を説いてきた。
「日本人は◯×やマークシートでの教育を受けてきているでしょう。そうすると、何でも答えを出したくなってしまう。美意識に対してもそう。しかし、美意識とは美しいと感じる心の数だけあってよいのです」
しかし、より良き「美意識」を身につけるには──。川邊はこう答えた。「人に感動を伝えようとすることです」。
私たちに感動を与えてくれるものは、人によりさまざま外在している。しかし人為によらずただ存在する「自然」ほど、時代を超えて何人にも畏怖を含む感動を与えるものはない。だからこそ「コロナ禍」という非日常が終わった今、これまでの日常ではなく人間の原風景である自然という「超日常」(Very Ordinary Day=VOD)に戻り、日本人本来の美意識を取り戻す必要がある。それは、仏教用語でいうところの「自然(じねん)」だ。我らもその自然の一部、ただ生かされている存在であることに気づくことから始まる。
